(38)「立憲政友会の結成と政界の動き」

立憲政友会結成(1900)

憲政党伊藤博文が接近、憲政党を解党して結成された

□総裁は伊藤博文

西園寺公望・星亨・片岡健吉・尾崎行雄原敬らが党員

□「万朝報」に幸徳秋水の「自由党を祭る文」が掲載された

・旧自由党系の憲政党伊藤博文立憲政友会を結成したことを批判

・「嗚呼自由党死す矣」などの文言

 

②第4次伊藤博文内閣(1900-01)

□第2次山県有朋内閣の後に成立

立憲政友会を中心とした内閣

貴族院との対立などが原因で退陣

立憲政友会と、山県有朋系の官僚や貴族院が対立

 

③元老

□元老は非公式な天皇の最高顧問で、首相の推薦などをおこなった

伊藤博文山県有朋は元老として権力を行使した

伊藤博文は1889年から、山県有朋は1891年から元老

・伊藤・山県以外に元老となった者は、黒田清隆松方正義井上馨西郷従道大山巌桂太郎西園寺公望

 

④桂園時代

□第4次伊藤博文内閣の後、桂太郎西園寺公望が交代で組閣

・第1次桂内閣(1901-06)→第1次西園寺内閣(1906-08)→第2次桂内閣(1908-11)→第2次西園寺内閣(1911-12)→第3次桂内閣(1912-13)

山県有朋を背景とした藩閥・官僚の勢力が桂太郎を支持した

西園寺公望伊藤博文の後、立憲政友会の総裁となった(1903)

桂太郎は長州出身で西園寺公望は公家出身