(44)「韓国併合への過程」
①日韓議定書締結(1904)
□日露開戦の直後に締結
□戦争遂行に必要な便宜を韓国が提供することとした
・「軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スルコトヲ得ル」こととした
②第1次日韓協約締結(1904)
□日本の推薦者を財政・外交の顧問(「財務顧問」・「外交顧問」)とすることとした
③桂・タフト協定(1905)
□桂太郎(首相兼外相)とタフト(アメリカ特使)との間で交わされた
□日本の韓国指導権と、アメリカのフィリピン統治を相互に承認
④日英同盟改定(第2次日英同盟・1905)
□日本の韓国指導権と、イギリスのインド統治を相互に承認
・適用をインドにまで拡大
⑤第2次日韓協約締結(韓国保護条約・乙巳保護条約・1905)
□ポーツマス条約締結後に締結された
□韓国の外交権を接収、保護国化した
・「在東京外務省」で韓国の外交を行うこととした
□統監府を設置(1905)、伊藤博文が初代の統監となった
・「統監ハ専ラ外交ニ関スル事項ヲ管理スル為メ京城ニ駐在シ」
⑥ハーグ密使事件(1907)
□オランダのハーグで開かれていた第2回万国平和会議に韓国皇帝・高宗が密使を送り、第2次日韓協約の無効を訴えたが、韓国の会議への参加は拒否された
□事件後、高宗は退位を迫られ、子の純宗が皇帝となった
⑦第3次日韓協約締結(1907)
□ハーグ密使事件をきっかけに締結された
□韓国の内政権を掌握した
・「韓国政府ノ法令ノ制定及重要ナル行政上ノ処分」は統監の承認を必要とした
□秘密覚書で韓国の軍隊を解散させた
・軍隊解散に反対する韓国軍の一部が反日の武装闘争(義兵運動)を起こした
⑧伊藤博文暗殺事件(1909)
□安重根が満州のハルビン駅で元統監の伊藤博文を暗殺
⑨韓国併合条約締結(1910)
□韓国を併合、日本領とした
・「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」
□地域名を朝鮮に改めた
□朝鮮総督府が統監府に代わって京城に設置された
□石川啄木は韓国併合について「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聴く」と詠んだ
⑩朝鮮総督府が土地調査事業を実施(1910-18)
□土地の測量や所有権者の調査などをおこなった
□所有権の不明確などを理由に農地や山林が接収された
・接収された土地は東洋拓殖会社や日本人の地主に払い下げられることもあった