2020-03-17から1日間の記事一覧

(46)「明治末期の国内政治」

①第1次西園寺内閣(1906-08) □帝国国防方針の制定(1907) ・陸軍を17師団から25師団へ増強することを目指した ・戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻を中心とした海軍の艦隊(八・八艦隊)の建設を目指した ②第2次桂内閣(1908-11) □戊申詔書発布(1908) ・日露戦争後の社…

(45)「満州進出・辛亥革命・日露協約」

①旅順に関東都督府を設置(1906) □関東州(遼東半島南端の租借地)を統治 ②大連に半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立(1906) □ロシアから譲り受けた長春・旅順間の鉄道や沿線の鉱山などを経営 □初代満鉄総裁は後藤新平 ③日本の満州進出に対するアメリ…

(44)「韓国併合への過程」

①日韓議定書締結(1904) □日露開戦の直後に締結 □戦争遂行に必要な便宜を韓国が提供することとした ・「軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スルコトヲ得ル」こととした ②第1次日韓協約締結(1904) □日本の推薦者を財政・外交の顧問(「財務顧問」・「外交顧問」)とす…

(43)「日露戦争」

①開戦(1904) □海軍が遼東半島の旅順港を攻撃、仁川沖でも海戦 ・旅順港はロシア太平洋艦隊の基地であった ②戦争の経過 □陸軍は、遼陽会戦などに勝利して満州を北上(1904)、その一方で乃木希典司令官の第三軍が旅順を攻撃、203高地を攻略する(1904)などして、…

(42)「ロシアとの戦争に対する国内世論」

①対露強硬論(主戦論・開戦論) □貴族院議長・近衛篤麿を中心に対露強硬論を主張する国民同盟会が結成される(1900)が、清露間の満州還付協定締結を機に解散(1902) ⇒しかしロシアの満州撤兵が実行されず、対外硬同志会(のちに対露同志会に改称)を結成(1903)…

(41)「日露関係と日英同盟」

①日露協商論(満韓交換論) □ロシアの満州での行動を認める代わりに、日本の韓国への優越権をロシアに認めさせようという考え ・同時に福建省に権益を拡大しようとする南進論でもあった □伊藤博文・井上馨らが主張 ②日英同盟論 □イギリスと同盟を結んでロシ…

(40)「義和団事件」

①義和団事件(1899-1900) □宗教的集団の義和団が排外運動を展開、キリスト教会や鉄道を襲撃 ・「扶清滅洋」をスローガンとした □清国政府は義和団を支持、列国に宣戦布告した □北京の列国公使館が包囲された ・事件は山東省から始まり北京へと拡大していった …

(39)「日朝関係と中国分割」

①朝鮮に閔妃派の親露政権成立(1895) ②閔妃殺害事件(1895) □駐朝公使・三浦梧楼の指揮で閔妃を殺害、大院君の親日政権が成立した ③国王・高宗がロシア公使館へ逃れ(露館播遷)、親露政権が成立(1896) ④朝鮮は国号を大韓帝国(韓国)と改称(1897) □高宗は王宮…

(38)「立憲政友会の結成と政界の動き」

①立憲政友会結成(1900) □憲政党と伊藤博文が接近、憲政党を解党して結成された □総裁は伊藤博文 □西園寺公望・星亨・片岡健吉・尾崎行雄・原敬らが党員 □「万朝報」に幸徳秋水の「自由党を祭る文」が掲載された ・旧自由党系の憲政党が伊藤博文と立憲政友会…

(37)「第2次山県有朋内閣」

①第2次山県有朋内閣(1898-1900)が成立 □第1次大隈重信内閣の後に成立 □旧自由党系の憲政党を与党とした ②地租増徴案が成立(1898) □地租を2.5%から3.3%に引き上げた ③文官任用令改正(1899…公布は1893) □政党員が官吏になることを制限 □憲政党は野党に転じて…

(36)「日清戦争」

①甲午農民戦争(東学の乱・1894) □朝鮮で民衆宗教・東学の信者・全琫準が農民を率いて反乱を起こした ・東学の開祖は崔済愚 ・東学とは西学(キリスト教)に対する呼称 □朝鮮政府が清に出兵を要請、日本も朝鮮へ出兵した ・天津条約の規定通り両国は出兵を…

(35)「軍事制度の改革」

①軍令を軍政から分離 □参謀本部を設置(1878) ・陸軍省の参謀局が、陸軍省から独立した軍令機関となった ・長官は参謀本部長(のちに参謀総長) □参謀本部が陸海軍統合の機関となり、陸軍部と海軍部が置かれた(1886) ・参謀本部の陸軍部と海軍部をそれぞれ陸…

(34)「朝鮮問題」

①朝鮮国内の動き □朝鮮では国王・高宗の父である大院君が実権を握っていたが、高宗の妃(閔妃)によって大院君は失脚させられ、閔妃の一族が実権を握った(1873) ・大院君は鎖国攘夷の政策をとっていた □閔妃は親日的な開化政策をおこない、日本から軍事顧問…

(33)「条約改正」

①寺島宗則(外務卿) □岩倉使節団の後、寺島宗則が条約改正交渉にあたった(国別に交渉) □関税自主権の回復についてアメリカと新条約を結んだ(1878) ・イギリスなどが反対し、新条約は発効されなかった ②井上馨(外務卿・内閣制度成立後は第1次伊藤博文内閣…

(32)「初期議会」

①帝国議会 □帝国議会は貴族院と衆議院の二院制 □貴族院は、皇族議員・華族議員・勅任議員(勅撰議員と多額納税者議員)で構成 □衆議院は、予算先議権以外は貴族院と対等とされた ②第一議会(第1回帝国議会)(1890-91) □民党は「民力休養・政費節減」をスロー…

(31)「衆議院議員選挙の始まり」

①衆議院議員選挙法発布(1889) □大日本帝国憲法と同時に発布 □満25歳以上の男子で直接国税(地租・所得税・のちに営業税も)15円以上の納入者が選挙人となった ・有権者は全人口の約1.1%:地主・豪農が中心 □被選挙人は満30歳で、ほかの条件は選挙人と同じ □…

(30)「諸法典の編纂」

①刑法関係の法律 □新律綱領を公布(1870) ・明や清の律を基礎とした □改定律例を公布(1873) ・新律綱領の処罰を軽減 □刑法を公布(1880) ・フランス人法律顧問・ボアソナードが草案を作成 ・法律の規定がなければ罰しないという罪刑法定主義を採用 ・皇室に対…

(29)「大日本帝国憲法」

①憲法草案(1886-88) □伊藤博文が井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らとともに、ドイツ人顧問のロエスレルやモッセの助言を受けて憲法と付属諸法令を起草した □完成した憲法草案は枢密院(1888年設置)で天皇臨席のもとに非公開で審議された ・伊藤博文は首相を…

(28)「内閣制度の成立」

①太政官制を廃止して、内閣制度を創設(1885) ②伊藤博文が初代の内閣総理大臣となった(第1次伊藤博文内閣) ③各省の長官を国務大臣とした ④総理大臣の伊藤博文(長州出身)をはじめ、薩長出身者が多数を占めた □薩摩出身の国務大臣 ・松方正義(大蔵)・大山…

(27)「諸制度の整備」

①伊藤博文が渡欧(1882-83) □ベルリン大学のグナイスト、ウィーン大学のシュタインからドイツ流の憲法を学んだ □帰国後、宮中に制度取調局を設置(伊藤博文が長官)、政治制度を研究した ・内閣制度の創設により、内閣法制局に吸収された ②華族令公布(1884) □…

(26)「民権運動の激化と再編」

①岐阜事件(1882) □岐阜で遊説中の板垣退助が暴漢に襲われて負傷した ②板垣退助らが外遊(1882-83) □伊藤博文・井上馨らが三井から費用を出させて板垣退助・後藤象二郎らを洋行させた ・立憲改進党が非難、自由党内部からも批判の声が上がり、自由党内に内紛が…

(25)「明治前期の財政・官営事業の払い下げ」

①不換紙幣を増発 □政府は、西南戦争(1877)の戦費の必要から不換紙幣を発行した □国立銀行条例改正(1876)で多くの国立銀行が設立され、不換紙幣を発行した □不換紙幣の増発によって激しいインフレーションとなった ②インフレーションの影響 □銀貨に対する紙幣…

(24)「政党の成立と私擬憲法」

①政党の成立:国会開設の勅諭が出されたことにより、政党が結成されていった □自由党結成(1881) ・国会期成同盟を母体として結成 ・党首は板垣退助 ・フランス流の急進的な自由主義を主張 ・後藤象二郎・片岡健吉・河野広中・植木枝盛・大井憲太郎・星亨らが…

(23)「国会開設へ向けての動き」

①立志社建白(1877) □西南戦争中、片岡健吉が国会開設などを求める立志社建白を天皇に提出しようとしたが、 天皇への取次を拒否された ②愛国社再興大会(1878) □解散状態にあった愛国社を大阪で再興 □士族中心であった自由民権運動に裕福な農民なども参加する…

(22)「不平士族の反乱・事件」

①佐賀の乱(1874) □江藤新平が佐賀の不平士族の征韓党の首領となって反乱を起こした ②敬神党(神風連)の乱(1876) □太田黒伴雄ら、復古的攘夷論を唱える敬神党が熊本で挙兵、政府軍に鎮圧された ③秋月の乱(1876) □宮崎車之助らが敬神党の乱に呼応して福岡で挙…

(21)「自由民権運動と政府の対応」

①愛国公党結成(1874) □板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らによって東京で結成された □民撰議院設立の建白書を左院に提出(1874) ・建白書の内容はブラックの『日新真事誌』に掲載された □江藤新平が佐賀の乱に参加したことなどから解散した(1874) ②…

(20)「明治初期の国際関係」

①岩倉使節団を欧米へ派遣(1871-73) □条約改正の予備交渉と欧米の視察が目的 □正使が岩倉具視で、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らが副使として参加した ・津田梅子・山川捨松らの女子留学生も同行した ②日清修好条規締結(1871) □日本側の全権は伊達宗城、清…

(19)「文明開化(宗教・生活)」

①神仏分離令(1869) □王政復古による祭政一致の立場から神仏習合を禁じた □神道国教化の方針を示した ・仏教を排斥し、寺院や仏像などを破壊する廃仏毀釈が起こった ②大教宣布の詔(1870) □神道国教化の推進を表明 ・僧の島地黙雷らが神道国教化に反対、信教の…

(18)「文明開化(教育)」

①文部省設置(1871) ②学制公布(1872):フランスを参考にした □全国に小学校が設立された ・国民皆学を目指す □全国を8大学区に分け、大学区を32の中学区に分け、中学区を210の小学区に分け、大学区ごとに大学校を、中学区ごとに中学校を、小学区ごとに小学校…

(17)「文明開化(思想・新聞)」

①近代思想の輸入 □西洋の自由主義や功利主義の考え方が紹介・受容された □天賦人権論 ・人は生まれながらに自由・平等で幸福を求める権利を持つという、自然権の思想に基づく考え方 ・自由民権運動の思想的基盤のひとつにもなった ②明六社 □森有礼の提案で明…