(39)「日朝関係と中国分割」
①朝鮮に閔妃派の親露政権成立(1895)
②閔妃殺害事件(1895)
□駐朝公使・三浦梧楼の指揮で閔妃を殺害、大院君の親日政権が成立した
③国王・高宗がロシア公使館へ逃れ(露館播遷)、親露政権が成立(1896)
④朝鮮は国号を大韓帝国(韓国)と改称(1897)
□高宗は王宮へ戻り、国号を改めた
・下関条約によって清の冊封体制から離脱、独立国となったことによる
⑤日清戦争後、列強は中国へ進出して勢力範囲を確保していった
□「眠れる獅子」と呼ばれていた清の弱体化が日清戦争の敗北によって露呈した
□列強の租借地(領土の一部を借用することを租借という)
・ドイツ:山東半島の膠州湾
・ロシア:遼東半島の旅順・大連
・イギリス:九竜半島・威海衛(山東半島)
・フランス:広州湾
□ロシアは東北地方、ドイツは山東地方、イギリスは長江流域と広東東部、フランスは広東西部と広西地方、日本は福建地方を勢力範囲とした
・日本は福建省の不割譲を清に認めさせた
⑥アメリカの門戸開放宣言(1899-1900)
□中国進出に出遅れたアメリカは、国務長官のジョン・ヘイが門戸開放宣言(中国の門戸開放・機会均等・領土保全)を列国におこない、アメリカの中国進出の姿勢を示した
・門戸開放宣言は、それまでのアメリカのモンロー宣言(ヨーロッパに干渉しないかわりにヨーロッパ諸国のアメリカ大陸への介入に反対するという相互不干渉の表明)に基づく外交姿勢を転換させたものであった