(36)「日清戦争」

甲午農民戦争(東学の乱・1894)

□朝鮮で民衆宗教・東学の信者・全琫準が農民を率いて反乱を起こした

・東学の開祖は崔済愚

・東学とは西学(キリスト教)に対する呼称

□朝鮮政府が清に出兵を要請、日本も朝鮮へ出兵した

・天津条約の規定通り両国は出兵を互いに通知

□反乱収束後も日清両国は朝鮮から撤兵せずに対峙

 

②日本が朝鮮の内政改革を日清両国で進めることを清に提案するが、清は拒否した

 

③日本は朝鮮王宮を占領、政権を閔妃から、大院君を執政とする、開化派の親日政権に転換させた

 

④戦争の経過

□豊島沖の海戦(1894)によって日清戦争(1894-95)が始まった

・両国とも宣戦布告がないまま戦争が始まったが、開戦後に宣戦布告が互いになされた

□日本では政府と政党が協力して戦争を遂行

・広島に大本営が置かれた

・第七議会は広島で開かれた

平壌の戦い(1894)

・陸戦で清軍を撃退、清軍は朝鮮から撤退した

黄海海戦(1894)

・日本の連合艦隊が清の北洋艦隊を撃破

□北洋艦隊の基地である威海衛を占領(1895)

□清が降伏(1895)

 

下関条約(日清講和条約)を締結(1895)

□日本側全権は伊藤博文陸奥宗光、清側全権は李鴻章

山口県・下関の春帆楼で下関講和会議が開かれた

下関条約の内容

・清は朝鮮の独立を認める(清の宗主権の否定)

・台湾・遼東半島澎湖諸島を日本へ割譲する

・賠償金・2億両(テール)を支払う

・沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港

下関条約に基づいて日清通商航海条約を締結(1896)

領事裁判権・協定関税などを取り決めた、日本に有利な条約

 

⑥三国干渉(1895)

□ロシアがフランス・ドイツとともに、遼東半島の清への返還を日本に要求した

・日本は遼東半島を清に返還することとし、清は還付報奨金として3000万両を日本に支払うこととした

□日本国内では「臥薪嘗胆」を合言葉に、ロシアへ敵対する世論が高まった

・ロシアは清から遼東半島の旅順・大連の租借権などを得た(1898)

 

⑦台湾統治

台湾総督府を設置、海軍大将・樺山資紀が初代・台湾総督となった(1895)

・台湾では抵抗運動が起こった

□台湾総督・児玉源太郎のもとで後藤新平が民政を担当した(1898-1906)

・強硬姿勢を改め、統治を安定させていった

・土地調査事業や、台湾銀行設立(1899)などをおこない、植民地経営を本格的に進めた