(31)「衆議院議員選挙の始まり」

衆議院議員選挙法発布(1889)

大日本帝国憲法と同時に発布

□満25歳以上の男子で直接国税(地租・所得税・のちに営業税も)15円以上の納入者が選挙人となった

有権者は全人口の約1.1%:地主・豪農が中心

□被選挙人は満30歳で、ほかの条件は選挙人と同じ

小選挙区制で議員定数は300人

 

黒田清隆首相が超然主義を表明(1889)

超然主義とは、政府の政策を政党の動向で左右しないという主義

・第1次伊藤博文内閣(1885-88)のあと、黒田清隆内閣(1888-89)

 

③第1回衆議院議員総選挙(1890)

□民党の立憲自由党が130議席立憲改進党が41議席を獲得、過半数を占めた

・反政府の野党を民党、政府支持の政党を吏党とよんだ

吏党では、旧立憲帝政党系の大成会が79議席を獲得

□総選挙の前に旧自由党系が再建され、総選挙の後に立憲自由党が結成された(1890)

板垣退助・大井憲太郎・河野広中らの各派が合流

・党の紛糾・分裂の後、板垣退助を党首として党名を自由党に改称、分裂を収束させた(1891)