(23)「国会開設へ向けての動き」
①立志社建白(1877)
□西南戦争中、片岡健吉が国会開設などを求める立志社建白を天皇に提出しようとしたが、
天皇への取次を拒否された
②愛国社再興大会(1878)
□解散状態にあった愛国社を大阪で再興
□士族中心であった自由民権運動に裕福な農民なども参加するようになった
③国会期成同盟結成(1880)
□愛国社は大阪で大会を開き、愛国社を国会開設のための全国的な組織である国会期成同盟とした
□片岡健吉・河野広中が中心となって、国会期成同盟に参加した政社からの署名を得て、天皇あてに国会開設の請願書を提出しようとしたが、政府は受理をしなかった
・政府は集会条例を制定して自由民権運動を取り締まった(1880)
□国会開設運動は全国的に広まって行った
・インフレーションで運動資金の調達が容易になったことが大きな原因
④開拓史官有物払下げ事件(1881)
□薩摩出身で開拓長官の黒田清隆が、開拓史官有物を薩摩出身の五代友厚らの関西貿易社に不当に安い価格で払い下げることとなっていた
・民権派などが政府を批判、国会開設運動が激化した
⑤明治十四年の政変(1881)
□政府は、世論の批判を受けて開拓史官有物の払い下げを中止する一方で、大隈重信が開拓史官有物払下げ事件に関する政府批判の言論に関与しているとみなして、大隈重信を罷免した
・早期の国会開設、イギリス流の議院内閣制の導入を主張する大隈重信と、漸進的な国会開設を主張する伊藤博文や岩倉具視らが対立していた
□政府は、ドイツ流の欽定憲法をつくる方針を決め、国会開設の勅諭を発して明治23年(1890年)に国会を開設することを公約した