(3)「井伊直弼・尊王攘夷・公武合体」

①将軍継嗣問題

□13代将軍・徳川家定に子がなく、誰を跡継ぎとするかで対立があった

□一橋派:徳川(一橋)慶喜徳川斉昭の子)を支持(松平慶永島津斉彬ら)

南紀派:徳川慶福を支持(井伊直弼ら)

井伊直弼大老となり、南紀派の徳川慶福が将軍家の跡継ぎとなった

⇒ のちの14代将軍・徳川家茂


安政の大獄

大老井伊直弼が、一橋派や、幕政に反対する者を弾圧

徳川斉昭、徳川(一橋)慶喜松平慶永らが処罰を受けた

吉田松陰橋本左内頼三樹三郎らは刑死
 

桜田門外の変(1860)

□水戸浪士らが江戸城桜田門の付近で井伊直弼を暗殺

・幕府の権威がゆらいでいった

 

尊王攘夷運動

□幕府の権威が弱まる一方、朝廷の権威が強まっていった

尊王攘夷論:尊王論天皇崇拝)と攘夷論(外国人排斥)が結合

・違勅調印後は反幕府の要素が加わっていった

尊王攘夷運動をする者を志士とよぶこともある

□ヒュースケン(ハリスの通訳)暗殺事件(1860)

東禅寺事件(1861)

・水戸浪士がイギリス仮公使館であった東禅寺を襲撃

□イギリス公使館焼打ち事件(1862)

長州藩高杉晋作らが建設中のイギリス公使館を全焼させる


公武合体

桜田門外の変後、老中・安藤信正公武合体(朝廷と幕府の融和)の政策をすすめ、孝明天皇の妹・和宮を将軍・徳川家茂の妻に迎えることとした

尊王攘夷論者が結婚に反発


坂下門外の変(1862)

□老中・安藤信正江戸城・坂下門の付近で水戸浪士らに襲われ、負傷