(4)「島津久光の動き」

文久の改革(1862)

薩摩藩島津久光(藩主・島津忠義の父で前藩主・島津斉彬の弟)による改革

公武合体路線の改革

□朝廷の勅使・大原重徳を奉じて江戸に行き、幕府に改革を要求した

□改革内容

松平慶永政事総裁職とする

・徳川(一橋)慶喜将軍後見職とする

松平容保会津藩主)を京都守護職とする

 のちに京都守護職の配下に新選組近藤勇ら)が置かれた

・参勤交代を3年に1度に緩和

・蕃書調所を洋書調所に改める

・西洋式軍隊を採用し、幕府陸軍などを設置


寺田屋事件(1862)

□伏見の寺田屋に集まった薩摩藩尊王攘夷派が、島津久光の命令で殺害・捕縛された

島津久光が江戸で幕府に改革を要求するために、薩摩から京都に入った際の出来事


生麦事件(1862)

島津久光の一行が江戸から薩摩に帰る際、横浜近郊の生麦で行列に乱入した騎馬のイギリス人を、薩摩藩士が殺傷した