(43)「日露戦争」

①開戦(1904)

□海軍が遼東半島旅順港を攻撃、仁川沖でも海戦

旅順港はロシア太平洋艦隊の基地であった

 

②戦争の経過

□陸軍は、遼陽会戦などに勝利して満州を北上(1904)、その一方で乃木希典司令官の第三軍が旅順を攻撃、203高地を攻略する(1904)などして、旅順を占領した(1905)。その後奉天会戦に勝利(1905)

□海軍は、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した(1905)

・海軍の連合艦隊司令長官東郷平八郎、作戦参謀は秋山真之

樺太を占領(1905)

 

ポーツマス条約締結(1905)

アメリカ大統領・セオドア・ローズベルトの仲介で、アメリカのポーツマスで日露講和会議(ポーツマス会議)が開かれた

・セオドア・ローズベルトに和平の仲介を打診するため、金子堅太郎をアメリカに派遣していた

□講和の背景:両国とも戦争継続が困難であった

・戦争は日本の勝利で展開していたが、日本は武器・兵士の補給が限界に達しており、また戦費の調達のために国民の税負担は大きかった

・ロシアでは血の日曜日事件を発端とする第一次ロシア革命が起こっていた

□日本側・小村寿太郎、ロシア側・ウィッテの間で調印

□条約の内容

・韓国に対する日本の指導・保護・監督権を認める

・旅順・大連の租借権と、長春・旅順間の鉄道(東清鉄道の一部)およびその付属の権利を譲渡する

・北緯50度以南の樺太と付属の諸島を譲渡する

沿海州カムチャッカの漁業権を認める

□ロシアから賠償金は得られなかった

 

④日比谷焼打事件(1905)

□賠償金が得られないなど、条約内容に不満を持った人々が東京で暴動を起こしたが、政府は戒厳令をしいて鎮圧

 

⑤軍事費

□軍事費は約17億円で約13億円を国債(外債約7億円・内債約6億円)に依存した

日本銀行副総裁・高橋是清を派遣してアメリカやイギリスで外債を募集した