(25)「明治前期の財政・官営事業の払い下げ」
①不換紙幣を増発
□政府は、西南戦争(1877)の戦費の必要から不換紙幣を発行した
□国立銀行条例改正(1876)で多くの国立銀行が設立され、不換紙幣を発行した
□不換紙幣の増発によって激しいインフレーションとなった
②インフレーションの影響
□銀貨に対する紙幣の価値が下落
□政府の歳入は実質的に減少、財政難となった
・地租は物価の変動にかかわらず定額であるため
・幕末から輸入超過が続いていることも原因
□地主などの蓄財が進んだ
・地租は物価の変動にかかわらず定額であり、農産物は高く売れるため
③松方財政
□財政分野の実力者の大隈重信が明治十四年の政変で罷免され、佐野常民に代わって薩摩出身の松方正義が大蔵卿に就任した(1881)
・デフレーション政策(いわゆる「松方デフレ」)をおこなった
□軍事費を除いて緊縮財政で歳出を削減、増税などで歳入を増加
・余剰金で正貨(金・銀)の買い入れや、不換紙幣の消却を実施
□日本銀行設立(1882)
・国立銀行条例を改正(1883)、国立銀行の銀行券発行権を停止して国立銀行を普通銀行に転換させることとした
□銀本位制の確立
・紙幣の価値が上昇して銀貨との価値の差がほとんどなくなると、日本銀行は銀兌換銀行券の発行を開始した(1885)
・政府紙幣の銀兌換も開始された(1886)
④官営事業の払い下げ
□財政整理と民間の産業育成のため、官営事業の払い下げを実施
□条件を厳しく規定していた工場払下げ概則(1880年公布)を廃止(1884)、官営事業の払い下げが本格化した
□官営事業の払い下げ先:政商に払い下げられ、財閥へ成長するきっかけとなった
・三井:三池炭鉱(最初は佐々木八郎に払い下げ)・新町紡績所・富岡製糸場
・三菱:高島炭鉱(最初は後藤象二郎に払い下げ)・佐渡金山・生野銀山・長崎造船所
・古河市兵衛:院内銀山・阿仁銅山
・川崎正蔵:兵庫造船所
・浅野総一郎:深川セメント製造所
⑤松方デフレの影響
□農産物(米・繭など)の物価の下落、定額の地租負担などによって農民の生活は苦しくなった
・自作農が土地を手放して小作人になったり、都市に流入して貧民になったりした
□地主に土地が集中